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2010年7月の成田スカイアクセスの開業に合わせて登場しました。車両のデザインは世界的なデザイナー:山本寛斎氏によるものです。“風”と“凛”をコンセプトに、スピード感と和を意識したデザインとなっており、2011年にはブルーリボン賞を受賞しました。在来線最速の時速160kmで走行するほか、乗り心地向上を図ったフルアクティブサスペンションや、気圧変動による耳ツン防止の為の扉押え装置の採用等、速さと快適性を追求しつつ、初代スカイライナーと同じ“AE形”を冠した日本を代表する空港特急です。
2010年度グッドデザイン賞受賞、2011年ブルーリボン賞受賞
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「受け継ぐ伝統と新たな価値の創造」をコンセプトに、新京成電鉄(80000形)と共同開発した京成グループの新しい標準車両です。外観デザインは、先頭形状に絞りや折りを取り入れたほか、急行灯・尾灯は上部から降りてくるラインに合わせ、シャープな形状としています。また、成田スカイアクセスの案内カラーであるオレンジを取り入れ、飛行機や沿線各所のイメージイラストを車体に描くなど、成田スカイアクセスを走行することをより分かりやすく表現しています。車内設備においては、多様化するニーズと空港輸送という路線の特性に対応すべく、座席の一部を折り畳み式として、スーツケースなどの大きな荷物を置けるスペースにできるほか、防犯カメラ、プラズマクラスターイオン発生装置※、フリースペースなどを導入しています。
※プラズマクラスターロゴ(図形)およびプラズマクラスター、
Plasmaclusterはシャープ株式会社の登録商標です
2003年に登場し、京成電鉄の通勤型車両の主力として活躍しています。3700形をベースとしつつ、更なる環境への配慮、保守の簡略化、バリアフリー化等をコンセプトとし、京成線及び乗り入れ線全線で運用できるものとしています。2019年まで合計278両の導入が行われ、製造時期によって機能が強化されているほか、京成グループの標準型車両として新京成電鉄(N800形)・北総鉄道(7500形)・千葉ニュータウン鉄道(9200形)の車両設計のベースともなっています。
1991年3月に北総開発鉄道(現:北総鉄道)との相互乗り入れ(京成高砂~新鎌ヶ谷)に合わせて登場しました。主要機器はAE100形(2代目京成スカイライナー)と共通であるほか、この車両の登場によって電車冷房化率100%を達成しました。1991年~2002年にかけて製造され、1995年度には全編成に前面スカート取り付け、4次車以降は車号が3800番台に、6次車からは前照灯が窓上に変更されると共に前面見付けを一部変更するなど製造時期によってマイナーチェンジが行われました。
1982年に登場した京成電鉄初のオールステンレス車両で、外観は3500形(未更新車)を基本にしていますが、先頭部は三折面構造としています。通勤型車両としては京成電鉄初となるT字型ワンハンドルマスコンや制御方式に回生ブレーキ付界磁チョッパーを採用するなど、初代AE形で培われた技術も多く導入されています。車体の製造は1989年までされましたが、その後も改造工事が複数回行われ、2017年3月以降は、VVVF制御装置を搭載した4両編成も活躍しています。
京成電鉄初の通勤型冷房車両として、1972年から1982年まで96両製造された、鋼製フレームにステンレス外板を取り付けたセミステンレス製の車両です。1995年10月から全96両中56両の車体を改修しており、先頭車両の形状を折妻に、スカートの装備、フロントガラスや黒塗り部分を拡大、車内設備においては、冷房装置のマイコン制御化や車椅子スペース、車外スピーカーの設置などを行っています。なお、未更新車両については2017年2月までに惜しまれながらも全車両が廃止されました。
AE100形(2代目京成スカイライナー)の導入により、1992年度から使用されなくなった初代AE形(初代京成スカイライナー)を更新・通勤車両化する改造工事により登場した車両です。車体の前面形状をはじめとした各部は製造当時の主力車両:3700形をベースとした設計ですが、主要機器は旧AE形車両のものを整備後に再使用しているほか、車体は青みがかったライトグレーがベースカラーとなっている鋼製塗装車両です。
2代目京成スカイライナーとなった車両で、京成電鉄初のVVVFインバーター制御車です。1990年の海外旅行ブーム、翌1991年の成田空港ターミナルビル直接乗り入れ(現・成田空港駅)の需要に応えるべく登場しました。外観はロングノーズの流線形上で、車体前面のデザインを保つ為、前照灯・連結器は不使用時にはカバーで覆われているほか、都営地下鉄への乗り入れが可能となるように車体前面に貫通扉が備えられています。
日暮里から空港第2ビル駅まで最速51分(本線経由)で運行、2010年7月の成田スカイアクセス開業後は「シティライナー」として京成本線を走行し、2016年2月に全車両が引退、現在はAE161号車が宗吾車両基地に保存されています。
新東京国際空港(現:成田国際空港)へのアクセスの為、製造された日本初の空港特急車です。形式の“AE”は“Airport Express”の頭文字、“スカイライナー”という名称は全国からのアンケートによって決定しました。登場時の車体はマルーンとクリームの2色塗りでしたが、1983年からはブルー・レッド・アイボリーに塗装を変えています。成田空港の開港延期に伴い、1973年12月から京成上野~京成成田で区間を短縮して運行を開始しました。1978年の成田空港開港時には京成上野~成田空港(現:東成田)をノンストップ60分で結び、1991年の現:成田空港駅開業時には8両編成化、1993年まで走り続け、現在はAE61号車が宗吾車両基地に保存されています。
1974年ブルーリボン賞受賞
※車両竣工図表より3301号車のデータ(寸法は最大寸法)を抜粋。
現在、3004号車が宗吾車両基地に保存されています。
※3004号車1両のデータ(寸法は最大寸法)です。
車体の前部が丸みを帯びており、従来にはない大型の2枚窓にヘッドマークをつけた外装に、内装は私鉄で初となるリクライニングシートを備え、車内に蛍光灯を採用、放送室や車内売店もあり、当時としては斬新な車両でした。1954年には日本で初めてテレビを搭載して京成上野~京成千葉間を納涼電車として運転、プロレス中継を楽しむ乗客や谷津遊園利用客でにぎわいました。当初は2両編成でしたが、ご利用者数の増加により3両編成へ増備、その後1967年11月まで当社のシンボルとして走り続けました。
※1601号車1両のデータ(寸法は最大寸法)です。
※車両竣工図表より1両のデータ(寸法は最大寸法)を抜粋。
現在、204号車が宗吾車両基地に保存されています。
※204号車1両のデータ(寸法は最大寸法)です。
※車両竣工図表より1両のデータ(寸法は最大寸法)を抜粋。
京成線最初の開通区間である押上~市川(現・江戸川)と曲金(現・京成高砂)~柴又の開通に合わせ、5両が新造されました。ボディは大日本軌道製、電気機器がイギリス製、制動装置がアメリカ製、車内には化粧鏡が備えられ、床はリノニュウムでした。
「軽快ニシテ清麗ナル車両ヲ以テ続々発車シ而カモ一時間ヲ費ヤサスシテ同山(注:成田山)ニ到達セハ今日ニ倍蓗スルノ参詣者ハ期セスシテ電車ノ便ニ依ルナルヘク加フルニ沿道富有ノ貨物ヲ以テス 当社ノ繁盛モ亦推知セラルヘシ」(『第七期事業報告書※1912年12月28日』より一部抜粋)
軽油を燃料としてレール上を走行する重機で、終電後から始発前の列車が運行していない時間にレールの歪みや高低の修正、砕石(バラスト)の搗き固めを行います。
軽油を燃料としてレール上を走行する重機で、終電後から始発前の列車が運行していない時間にレールの高低や軌間(レールとレールの間の幅)、曲がりやねじれの度合い等、保守作業の計画作成の為のデータを測定します。
モーターカー(レール運搬)
軽油を燃料としてレール上を走行する重機で、終電後から始発前の列車が運行していない時間に交換用のレールを運搬しています。
モーターカー(砕石整理)
軽油を燃料としてレール上を走行する重機で、終電後から始発前の列車が運行していない時間に列車走行時の振動や騒音を抑える砕石(バラスト)を運搬しています。
モーターカー(マクラギ運搬)
軽油を燃料としてレール上を走行する重機で、終電後から始発前の列車が運行していない時間にマクラギを運搬しています。マクラギはレールにかかる荷重を分散する事で、レールの高低や軌間(レールとレールの間の幅)を保つ役割があります。
保線作業の資材運搬等に使用した電動貨車です。モニ20形は1974年に製造され、京成電鉄最後の貨車として2007年まで運用されました。現在ではモーターカーの様に、軽油で走行する大型重機が保線作業で使用されています。